武士道と資本主義の摩擦

By kihara, 2018年5月5日

利他主義と利己主義、他人の利益を第一に考えるのと自分の利益を第一に考えるという対義語です。実は武士道は解釈次第で両方に通じる可能性があります。

仁は人への優しさで、これだけで利他主義を成せます。ただ組織単位になるとその優しさは組織内だけになりがちになり、また組織への忠義の精神で利己主義となります。この単位が狭まった結果が核家族なのではないかと思っています。

まだこの段階では武士道を貫いているのですが、仕事に没頭するあまり子供たちへの武士道の継承が徐々に薄れていき、ただ単に組織のために忠義を尽くす企業戦士になっていきました。さらにその子供達は何のために仕事をしているのかさえ受け継ぐ事が出来ず、というより教える事すら出来ず、無気力世代を作っていきます。

薩摩隼人や肥後もっこすなど、とりわけ地方に武士道が残っていると言われているのは大きい組織がなかった事も影響しているのではないかと思います。あとは祖父母から継承するパターンも地方では多かったでしょう。上京していると離れているため物理的に無理です。

もちろん楽して稼ぐという資本主義と相容れない部分が多くある事も大きな要因です。ノブリスオブリージュ、高貴な者はその振る舞いに責任があると説明されることが多い武士道ならびに騎士道ですが、資本主義社会においては高貴イコール富む者であり、その振る舞いに高貴さは求められないように感じます。特にアメリカでは富裕層は寄付をする事が当然という雰囲気がありますが、日本では異なります。これはお金より名誉を重んじるため、お金を分け与える事が失礼にあたるという精神から来ていると推測します。

お金より名誉という時点でお金が一番という資本主義とはやはり相容れない文化なのです。

続きは次回。

 

 

Samurai / lazarevmaru

 

 

このエントリーをはてなブックマークに追加